BC341年 –BC270年|古代ギリシア
時代はアレキサンドロス大王がヨーロッパからアジアを征服・統一してしまったヘレニズム時代と呼ばれる頃です。
アレキサンドロス大王については、以下からどうぞ。
ヘレニズム時代はアレクサンドロス3世(大王)の死後からローマ帝国による地中海世界統一までの、ヘレニズム諸国が存続した期間を指します。そもそもヘレニズムとは「ギリシアの」という意味です。ギリシア人を意味する「ヘレネス」や、ギリシア神話の人物でありギリシア人の祖先とされる「ヘレーン」を語源としています。
ヘレニズム時代の哲学
このヘレニズム時代で大きく栄える哲学がストア派とエピクロス派です。
アレキサンドロス大王の侵略により巨大な帝国が出来上がりましたが、その結果として様々な文化が融合し、たくさんの人の価値観が崩壊しました。
色々な文化が混じり合って、
「え?おたくの国ではゼウスの神がいない?そんなことある?」
みたいなやりとりがされる中で、自分たちが今まで信じてきた常識が実は常識じゃないことに気づいた時代だったのでしょう。
日本企業がどんどんグローバル化するに連れて、
「え?終身雇用って当たり前じゃないの?え?クビってありえんの?そんなことある?」
みたいなやりとりをしている現代に通じるものがあります。
このような時代の哲学で重要視されるのは、今も昔も「どうすれば幸せに生きられるのか」です。そして、それらの「幸せ」論の中でも、最も重視されたのがストア派とエピクロス派です。
ストア派:禁欲主義
「ストイック」という言葉に象徴されるストア派は、「理性」に従うことによって「情動」から解放されることを説きます。欲望に従うのではなく、規律正しく生きることによって、人は幸せになることができると考えます。そのために、ストア派では自制心や忍耐力を鍛えることを重視します。
なお、ストア派に考え方が少し似た学派として、キュニコス派という哲学があります。キュニコス派はあまりにも禁欲的すぎて、犬儒学派などとも言われています。これは、欲望を放棄するあまり、あらゆる所有を放棄し、ボロ布を来て生活し、犬のような乞食生活をしたからだと言われています。
アレキサンドロス大王が侵略に侵略を重ね、いつ自分の所有物を奪われるかわからないという時代の中、あえて所有を放棄することで幸福を得ようとしたのがキュニコス派です。なお、「皮肉」とか「人を信じない」という意味の「シニカル(cynical)」という言葉は、キュニコス派(cynic)に由来します。
エピクロス派:快楽主義
エピクロス派の思想は「快楽主義」とも言われます。ストア派やキュニコス派の「禁欲主義」とは正反対の響きがしますね…。しかし、エピクロスは「欲望のままに生きようぜ!」と言ったわけでも「好き放題やろうぜ!」と言ったわけでもありません。エピクロスはどのような考えを持ったのか、彼の生涯から、エピクロスが考えたことを探ってみましょう。
エピクロスの生涯
エピクロスはアテナイの植民地サモス島に生まれます。サモス島はエーゲ海の東部、トルコ沿岸にあるギリシャの島です。
だいぶトルコ寄りですが、ギリシャなんですね!
エピクロスの生涯は辛いことの連続だったと思われています。まず、サモス島のアテナイ人入植者は、アレクサンドロス大王の後継者ペルディッカスによって弾圧され、対岸の小アジアのコロポンに避難していました。
コロポンは、今やなき古代都市ですが、その跡は上記の場所(トルコのイズミル県)にあると言います。
やがてエピクロスは自身の学校を開き、弟子を受け入れるようになります。しかし、その学校も迫害を受け、学校からは追われます。散々ですね…。
最終的にエピクロスは弟子たちとともにアテナイへ移り、郊外の庭園付きの小さな家を購入します。これが「エピクロスの園」と呼ばれるようになります。
エピクロスの功績
前述の通り、彼の思想は「快楽主義」。しかし、快楽主義と言っても欲に任せて好き勝手やるのではなく、むしろその逆。エピクロスは現実の煩わしさから解放された状態を「快」だとしました。
なんなら、欲に任せて好き勝手やる「快楽」は、それを追い求めると結果的に多くの不快・苦痛を生み出し、快楽より不快が勝ることになるから、避けるべきだとエピクロスは言っています。つまり、エピクロスは多くの欲求を満たすことより、苦痛を避けることを優先的に考えたわけです。
もう少し詳しく書くと、エピクロスは欲求を下記の3つに分類します。
- 自然かつ必要な欲求(健康、食事、衣服、住居、友情など)
- 自然かつ不必要な欲求(大邸宅、贅沢な暮らし、豪華な食事など)
- 不自然かつ不必要な欲求(名声、権力など)
最初の「自然かつ必要」な欲求のみ追求すれば、心は穏やかでいることができる。そしてその心の平穏(アタラクシア)こそが快楽だと主張しました。
しなやかな生き方をしよう
いかがでしょうか。私個人としては、エピクロスの考え方には大きく共感できる部分があると思いました。
不必要な欲求を叶えるには、大きな労力とか精神的負担がかかります。
大きな仕事はそりゃやりがいもあるし、成功すれば上司に褒められたり社内で表彰されたりすることはあるし。けど、何度も徹夜して会社に泊まり込まないといけなかったりします。食事も、たまには豪華なものを食べたいと思うこともあるけれども、5万円のコース料理に5万円の価値があるかと言われるとちょっとよくわからなくて後悔することもあるし。できるだけ最低限の支出で、最低限の労力で生きていきたいなぁなんて思うこともあるわけです。
しかし、そんな人ばかりでは世の中回らないよね、とも思います。
もし世界がエピクロスみたいな人だらけだったら、誰も政治家を目指さないし、社長も目指さないし、大富豪になってやろうなんて思わないでしょう。もちろん、敬虔な方であれば、純粋に人々の役に立ちたいと思い政治家を志すこともあろうかと思いますが、大半の政治家は多少の権力欲とか名声欲みたいな下心はあるんじゃないかな。それが悪いということではなくて。
元気な時は「不必要な欲求」を追求し、疲れたら「必要な欲求」だけを求めるようにすれば良いのではないかな、と思ったところです。