BC384年〜BC322|古代ギリシア
アリストテレスは、プラトンの弟子に当たります。
アリストテレスは「万学の祖」と呼ばれています。形而上学、倫理学、論理学、政治学、天体学、自然学(物理学)、気象学、生物学、詩学、演劇学と、文理を問わず、現在の学問体系のまさに基礎となるような学問の分類を作り上げた人物なのです。
アリストテレスはこれらをすべて「フィロソフィア」と呼んでいました。フィロソフィアとは、「知恵(ソフィアsophia)」を「愛する(フィレインphilein)」という意味です。
これこそが「哲学」を意味する英語フィロソフィー(Philosophy)の語源です。
アリストテレスのいう「フィロソフィア」とは
- 知的欲求を満たす知的行為そのもの
- その行為の結果全体
であると言われています。
そういった意味では、現在の勉強ですとか、学問だとか、知的な行為は全てフィロソフィア=哲学に該当することになりますね。
アリストテレスの生涯
アテナイ人ではないアリストテレス
アリストテレスは、実はソクラテスやプラトンのように、アテナイの生まれではありません。生まれはマケドニアの支配下にあるトラキアで、17歳の頃にアテナイに出てきたと言われています。アテナイでは、かのプラトンが作ったアカデメイアに入門、そしてプラトンのもとで学ぶことになります。
アリストテレスの出身地トラキアは、今のブルガリア・トルコ・ギリシアにまたがっている地域になります。その中でも、今のギリシア内にあるスタギラで、アリストテレスは生まれています。
昔の人を身近に感じるためのGoogle Mapをどうぞ。徒歩で113時間の距離ですね。
アテナイのアカデメイアで学ぶこと20年間。やがてプラトンが死去し、アカデメイアを去ることになります。諸説あるものの、隣国マケドニアに反発する人たちが多かったアテナイでは、マケドニア人のアリストテレスは生きづらかったのではないでしょうか。
アレクサンドロス大王の教師に
アテナイを去ったアリストテレスは、いずれマケドニアの王子アレクサンドロス、当時13歳の教師となります。
13歳の中坊に「学問の祖」アリストテレスを教師として迎える。これは天才が育ちそうだ。
私も子供ができたら優秀な家庭教師を迎えたいなぁ。子供ができたら塾とか行かせたくないんですよね。先生も大した人じゃないだろうし。
あんなテキストとか問題集とかに向かわせるのもそれはそれで意義があるとは思いますが、どちらかと言うと、知的好奇心をむちゃくちゃ書き立てるような教育の方がよっぽど投資対効果が高いと思うし、自分自身もそういった存在でありたいと思っています。
まぁでも、現在の技術をもってすれば、「スタディサプリ」みたいなアプリで一流講師の授業も受けられますからね。当時スタディサプリがあれば、アリストテレスはリクルートに引き抜かれて、むちゃくちゃ給料もらったでしょうね。私も受けたい。
ちなみに、アリストテレスはアレクサンドロスのみならず、他の貴族階級の子どもたちも学んでいたと言われています。将来マケドニアの中枢を担う人たちのエリート教育を施し、そのマケドニアが短くも大きく栄えたのですから、偉大ですよね。
しかし、皮肉にもアリストテレスは小規模な国家がベストだと考えていたのに対し、当のアレクサンドロス大王は侵略に侵略を重ねて、超巨大なアレクサンドロス帝国を作ってしまいます。エジブトにまで侵略したので、なんと彼は「ファラオ」と呼ばれる存在でもありました。
さて、大きくさかえたマケドニアのおかげもあって、アリストテレスはアテナイに戻り、リュケイオンという学園を設立します。しかし、アレクサンドロス大王の死に象徴されるように、マケドニアはその勢力を失っていきます。
結果、アテナイは反マケドニア勢力が強くなり、マケドニア人に対する迫害が起こる中、母の故郷カルキスに逃れ、死去します。
調べてびっくり、案外近い。あまり逃げてない。
アリストテレスの功績
経験論
プラトンの弟子アリストテレスは、なんとなんと師匠が掲げたイデア論を、「イデアなんて言っても仕方なくね?だってどこまで行っても妄想の域を超えないでしょ」という至極まっとうな理由で批判します。
そして、アリストテレスが重視したのは、経験的事象を元に演繹的に真実を導き出す分析論です。
アリストテレスの名言の一つに、こんなものがあります。
我々の性格は、我々の行動の結果なり。
この言葉からも分かるように、アリストテレスは経験的事象=我々の行動というものを重視しています。
一方のプラトンは、「優しさのイデア」とか「美しさのイデア」とか「人のイデア」と言うもので私たちは構成されていて、まぁ生まれてくるときにそれを覚えているんだ、だから私たちは優しいという性格があるんだ、と考えています。
アリストテレスは、「そんなこと言ったってイデアなんてものが本当にあるかどうか分からないですよね?そんなことよりも色々な人の行動とか外見をみて、あ、これは優しい行動だね、これは美しいと思える外見だね、とか、これは人という分類ができるねとか、もっと言えば、人というのは猿と似てるね、人が授乳するというのはイルカと似ているね、だから人とイルカは仲間だねと、様々な事象を多角的に分析して、それらをカテゴライズしていく方が有意義じゃないですか?」と考えました。
イルカは哺乳類だと、当然のように生物の教科書には載っていますが、それを初めて分類したのはアリストテレスなんですね。すごいですよね。だって、イルカってどう見ても魚じゃないですか。可愛いけど。
さて、後世の思想を理解する上で、このプラトン vs アリストテレスの違いは理解しておく必要があります。
プラトンは、普遍的なもの(=イデア)が個物よりも先に存在するという実在論を主張し、
アリストテレスは、存在するのは個物だけであって、「普遍的なもの」は人が勝手に名付けただけという唯名論を主張しました。
そんな訳で、アリストテレスはあらゆる学問や生き物や考え方をとりあえず何でもかんでも分類分けして名付けていくという行為をその生涯をかけて取り組んでいきます。
アリストテレスの学問分類
アリストテレスが学問を分類したものをざっとまとめると、以下のような形になります。深掘りするとキリがない、かつかなり難解なので、いったんそれぞれの詳細はパスします。
いずれ、きちんとまとめてみたいですね。
こういった難しい概念をわかりやすく書くことを目的としているブログですので。
アリストテレスは、「論理学」があらゆる学問成果を手に入れるための「道具」(オルガノン)であることを前提とした上で、学問体系を「理論」(テオリア)、「実践」(プラクシス)、「制作」(ポイエーシス)に三分し、理論学を「自然学」、「形而上学」、実践学を「政治学」、「倫理学」、制作学を「詩学」に分類します。
今の大体の大学の学部名称が網羅されていて、この分類がベストだとアリストテレスが一人で思ったものが現在まで引き継がれているんですから、すごいですよね。
しかも、それをアリストテレス一人で一気に作っちゃった。
アリストテレスが犯した過ち
さて、アリストテレスはその膨大な研究の中で、いくつかの致命的な過ちを犯しています。そして、後世においてアリストテレスの思想がキリスト教と融合してしまうことによって、アリストテレスの学問を否定した科学者たちの悲劇を招くことになります。その代表的な被害者が、ガリレオです。
アリストテレスが中世キリスト教に与えた影響
アリストテレスはキリストが生まれるよりも前の時代の人物です。なので、キリスト教なんて宗教は、そもそもありませんでした。
しかし、キリスト教が生まれると、アリストテレスの思想はキリスト教にとっては辻褄が合わない部分が数多くありました。もっとも致命的なのが、アリストテレスが「イデア」という普遍的なものが存在しないと批判してしまっていることにあるのではないかと、私は考えています。キリスト教における普遍的なものとは、全知全能の神ということになるのですが、しかしアリストテレスにしてみれば、前述した通り「そんなものは後から人が考えたものにすぎない」という立場に立ってしまっているのですから、辻褄があいません。そのため、いずれアリストテレスの思想はヨーロッパから追放され、アラビア語に翻訳されてイスラムに伝わることとなりました。
キリスト教との相性が抜群だったのは、プラトンの「イデア論」です。イデアと全知全能の神を重ね合わせると、非常に論理的に明快です。
しかし、いずれアリストテレスはヨーロッパ社会に再発見されます。プラトン主義が浸透しているキリスト教にとっては、あまりに不都合。しかし、アリストテレスの思想や研究成果はあまりに正しく、否定することができません。そこで活躍したのがトマス・アクィナスという人物です。
彼は、アリストテレスの思想をキリスト教と巧みに融合します。どうやって融合したのか?については長くなるので、回を分けましょう。
正直申し上げて、アリストテレスが犯した間違いの数々は直感的には正しそうなので厄介です。いくつか代表的なものを見て生きましょう。
天動説
アリストテレスは、世界の中心に地球があり、その外側に月、水星、金星、太陽などの惑星が回っていると考えました。
「それでも地球は回っている」で有名なガリレオですが、この天動説を否定し地動説を証明してしまった結果裁判になり、思想が異端だとして、無期刑に処されてしまいます。
重たいものの方が速く落ちる
アリストテレスは、物体は重たいものの方が速く落下する、と考えました。
これは、直感的なイメージとして共感できますよね。ダンベルを落とした方が、発泡スチロールの箱を落とした時よりも絶対速く落ちてる。大きい音がなるし、床も凹むし、足に落ちたら痛いし。
これもまたガリレオが否定します。
かのピサの斜塔から、重みの違う二つの物体を落として、実証実験をしたのです。何事も疑問を持つことが大事。しかし、これもまた思想が異端だとして、ガリレオは所属していた大学を追われてしまいます。
自然発生論
アリストテレスは、自然発生論を唱えます。
自然発生論とは、生物が生まれる時は、卵から生まれるのみならず、何もないところから生物が生まれることがある、というものです。
生命の基となる「生命の胚種」が世界に広がっている。
この生命の胚種が「物質」を組織して生命を形作る。
いや、これも割と共感できる。そう、コバエです。
奴らはたとえ密室であっても生ごみを放置しておけば平気でわいてくる。絶対にあるよ、生命の胚種!
自然発生論は17世紀まで明確に否定されることはなかったので、いかに科学が不正確で不明に満ちているかが良くわかりますよね。
アリストテレスから学ぶべきこと
私たちは、日々を一生懸命に生きることで、様々な技術や知識を身につけます。
学校に行って勉強したり、読書をして昔の人の生き方に学んだり、あるいは仕事をする中でお金を稼ぐことの大変さを知ったり、業種特有の専門知識を得たり、様々な加工技術を習得したり。
これらは、経験を積むことで我々の身についたものです。
しかし、これらの経験を、我々はどれほど「知恵」に変換できているでしょうか。
アリストテレスは自身の経験を「万学の祖」と言われるまでに、多数の人が応用・活用できる「知恵」に変換しました。
私たちは、日々の学校・仕事から、どれだけの「知的な生産活動」をしているのでしょうか。アリストテレスに倣って、その生産量を最大化したいところです。
では、どうやって。その手法は、まずは、身の回りで起きる事象に対する疑問を持つことではないかと思います。
さらには、それらの事象に対して、様々な視点・視座からの見方を洗い出し、それらに共通する普遍的な共通項は何かを考えること。
その考えた結果を、他の人にとっての可読性・応用性の高い状態で書き留めておくこと。
こういった手順が必要になるのではないかと思います。
最後に、そういった知的な生産活動を実行する上で気をつけるべき点が、以下のアリストテレスの言葉に集約されていると思っています。
すべての技術、すべての探求、同様に行為も選択も、何らかの善を目指すと思われる。
アリストテレスはきっと、知的な生産活動を行う上では、きちんと「善」に向かっていることが必要なのだと、そうなくてはならないのだと述べているのだと思っています。もちろん、
さすれば、原発ですとか、粉飾決算・不正会計ですとか、耐震工事偽装ですとか、「悪に向かう技術や探求」と言うのは淘汰されるのではないでしょうか。
もちろん、原発を開発している当の本人は、「悪に向かっていること」に対して無自覚なんだと思います。むしろ、これは画期的だ、正しく利用すればものすごいエネルギーを効率的に生産でき、そして環境にも配慮した発電ができると考えていたのではないかと推測します。
最初の原子炉を発明したのはかの「フェルミ推定」の名前の元となっている、エンリコ・フェルミです。フェルミはあまりに天才で、学生時代にすでにその知識は教師たちを追い越してしまっていたと言われています。
しかし、皮肉にも原子力が初めて応用されたのは原子爆弾です。
原子爆弾を開発した人たちも、「世界平和という善に向かうために必要な技術だ」と考え、研究開発をしたことでしょう。
では、「善」とは何か。原子力発電や原子爆弾は「善に向かう技術」なのか。
原発が悪だと言いたいのではありません(善だとも思っていませんが)。善かどうかをきちんと考えたのかと言いたいのです。今の「人工知能はいつか人類滅亡に追い込むのではないか」というような議論も、同様です。
そう考えれば考えるほど、なぜ古代ギリシアの哲学者たちが、「善」をイデア界の最上位に位置付けたり、全ての人間の活動の目的は「最高善」を志向すると考えたりしたことに合点が行きます。プラトンのイデア論や、アリストテレスの経験論の違いはあれど、おもしろいまでに共通して「善」を物事の最高位に位置付けるのです。