BC427-BC347|古代ギリシア
プラトンは、ソクラテスの弟子にあたります。
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著書『国家』に記した「イデア論」が非常に有名です。さて、この『国家』というタイトルがついていますが、この本は「正義とは何か」がテーマです。タイトル詐欺もいいところです。
しかし、プラトンはその「正義」論に基づき、「国家のあるべき姿とは」を解説した書籍になります。現代にも通じる「正義とは何か」「国家のあるべき姿とは」といった大きなテーマを描いた本作について、みていきましょう。
プラトンの生涯
ソクラテスの死と衆愚政治への幻滅
もともとはソクラテスの門人として働いていたプラトンですが、そのソクラテスが死刑に処されてからは政治に失望し、『ソクラテスの弁明』『クリトン』などの著作の基礎となる思索活動に勤しみます。
三十人政権が没落後、民主制は復活するものの、その民主制を支えるような優れたリーダーは現れず、ポリス制度は衰退の一途を辿ります。その頃のリーダーは、確固たる意思を持たず、大衆に迎合した政治を執り行ないます。こういった事象は、「衆愚政治」と呼ばれたりします。民主制を取る以上、衆愚政治は必ず起き得ます。
政治家が「税金を安くして社会保障を充実させます!(財源はどこから来るか考えてないけど)」なんて言って当選を目論むのも、簡単に言えば、衆愚政治の一種です。なぜなら、税金を安くして社会保障を充実させることは、国家の財政破綻を招くからです。でも、そんなことを言う人がいたら、ろくに考えずに投票したくなりますね。もちろん、税金を安く、かつ社会保障を充実させ、かつ財政破綻を招かない政策であれば問題ありません。でも、本当にそれが可能なのかの検証を、投票者はしないでしょう。言い方は悪いですが、大衆は愚かなんですね。
この惨状に呆れたプラトンは政治から距離を置きます。
シケリア旅行、そしてアカデメイアの設立
そんなプラトンですが、シケリア(シチリア)島やエジプトといった国々への旅行に出向きます。
アテネからシチリアは、Google Mapによると、徒歩+フェリーで209時間かかるらしいです。どんなルートで行ったんでしょうね。
さて、異なる国に行くと異文化に触れるのは必然で、プラトンもそれまでは想像もしなかった学問の人々と出会ったと言われています。その中の一つが、ピタゴラス学派です。
今も昔も、旅行は大事。何を隠そう、私がこんな文章を書いているのも、旅行がきっかけなんです。上のGoogle Mapの画像に☆印がついていますが、私は行ったことのある都市には☆印をつけています。
ヨーロッパ周遊旅行をして、古代ローマやルネサンス期の歴史・芸術に触れ、本当に「昔の人は偉いなぁ」と心から思ったのです。こういった経験が私の知的好奇心に火をつけ、今この文章を書いています。
こういった感覚は大事にしたいですね。来年はアテネにいくことを目標にします。
イデア論とは何か
ピタゴラス学派から受けた影響
ピタゴラスは、これまた古代ギリシアの哲学者です。ピタゴラスは「万物は数なり」と言って宇宙の全ては数と計算で説明することができる、と言いました。
例えば、三平方の定理は、ピタゴラスの定理とも言われます。ピタゴラスの定理は「三角形」という図形をまさに数と計算で説明しています。
しかし、現実の三角形は、本当に三平方の定理で表現できるでしょうか?
例えば、現実の三角定規を考えてみましょう。直角三角形の形をした三角定規は、完璧な三角ではなく、例えばちょっとした傷がついていたりとか、あるいはどんどん拡大していくと、目視できないような細かな凹凸だらけになっているのではないでしょうか。
そう、完璧な三角形は、現実世界に存在せず、数学や幾何学上の存在でしかないという思想によって、プラトンはソクラテスから学んだことを昇華します。
イデア論
完璧な三角形は現実には存在せず、我々の概念でしか実在しない。同じように、我々の日常にあるものは全て「影」のような存在であり、あくまで実在しているのは「イデア」であるというのが、イデア論です。
我々がこの世界で見ているのは「影絵」にすぎず、それを現実の世界だと思っているが、そうではない。現実に実在しているのはイデアなのだ、とプラトンは言います。馬のイデアもあれば、家のイデアも、ラーメンのイデアも、何でもかんでもイデアはあるけれど、実際に私たちの見ているものは、それらのイデアの影にしかすぎないのです。
なお、私にとってのラーメンのイデアは、天下一品の本店にあります。全国に展開している天下一品はその模倣ですら影絵ですらありません。味が全然違いますからね。そうか、イデアは京都にあったのか。ぜひ京都に行く際は、一度行ってみてくださいね。
善のイデア
プラトンの思想は、ソクラテスの死刑に象徴される幻滅とか失望とかによって成り立っていると言えます。私たちの生きる世界は取るに足らない、偽物にすぎない世界だということにしたかったという願望が垣間見えるのは、私だけでしょうか。
しかし、プラトンとして、この世界を諦めた訳では無いようです。プラトンは、このイデア論を用いて、政治がどのようなものであるべきかを語っています。それこそが、「善のイデア」という考えです。
プラトンのイデア論ですが、画期的なのが、我々が見えるもの・触れられる【物】のみならず、「美しい」とか「正しい」とか「可愛い」とか、このような【観念】についてもイデアがあると考えたことです。
つまり、「美のイデア」というものがイデア界にはあり、そして例えば我々が「美しいな」と思う花は、美のイデアと花のイデアを分有していると考えたのです。
さて、これらのイデアの中でもプラトンが重要だと考えたのが「善のイデア」です。
善のイデアは、あらゆるイデアを秩序づけるものとして、イデア界の最高位に位置付けられます。
プラトンは、「太陽の比喩」でこの善のイデアを説明しています。太陽が我々に日を注ぐことで様々なものが照らされ物事が認識可能になるように、善のイデアはあらゆるイデアを認識可能にし、その存在を根拠づけるものなのです。
そして、生成界に生きる我々は、イデアに恋い焦がれているのです。(エロース)
我々がよく使う「アイデア」という単語はこういった思想が背景にあるのですね。ちなみに、「理想的」は英語ではideal(アイディール)と言います。
では、プラトンが考えた理想の国家(Ideal Republic)とは、どのようなものなのでしょうか。
プラトンが考えた国家のあるべき姿とは
プラトンは、王は哲学家がならなければならないと述べました。
政治権力と哲学が一体になることが必要であり、一国を統治する王は「善のイデア」を認識しているほどに哲学を極めた者であるべきだと述べています。
しかし現実には、哲学家は役に立たないとして批判されるばかりだと嘆いています。イデア界を解説する中で、プラトンはイデア界を認識した人が生成界でその存在を話しても、信じてもらえないと述べています。
ぐぬぬ。プラトンが死んでから2,000年以上もたっているのに、「文系学部廃止」騒動とか、「文学部は就活で不利」説とか、何も変わっていないじゃないか。特に日本はひどい。
とはいえプラトンのようにあまりにも観念論に偏った思想を持った人というのは、フレームワークや理想論ばかりを強調して現実的な提案ができない営業のように、実務においてはイマイチというのも想像はできます。実際のビジネスは「答えがない」世界で回ってますからね。
でも、プラトンは「答えがない世界」で「答えを追求する行為」の重要性を我々には伝えてくれているようにも思います。
特に政治家や経営者、現実世界のリーダーにおいては、「国家のイデア」「会社のイデア」「部署のイデア」とは何かを強く認識した上で、そのリーダーシップを発揮してもらいたいものです。