BC469 ~ BC399|古代ギリシア
ソクラテスは、古代ギリシアのアテナイ(アテネ)に生まれた哲学者です。「無知の知」という言葉が非常に有名ですが、どのようにして彼はこの思想に至ったのでしょうか。
この記事では、ソクラテスという人物が生きた時代を解説するとともに、ソクラテスの思想とそこから我々が学ぶべきことを考えていきます。
ソクラテスが生きた時代背景
ソクラテスが生きた頃のアテネは民主制のとても栄えた時代であると同時に、戦争に破れ没落していくという盛衰激しい時代でした。
ソクラテスの思想を理解するためには、当時の時代背景のイメージを持つことが大事です。
アテネの民主制
クレイステネスという人物が王政を覆し、民主制を導入したのがBC508。ソクラテスが生まれるのはその約半世紀後です。民主制はかなり定着していたのではないでしょうか。
しかし、このころの民主制は直接民主制です。今のように間接民主制において限られた国会議員などが政治を行うというのではなく、国民全員が政治に参加することとなります。もっとも、全員と言っても成人男子のみが対象であったことには注意が必要です。もっと言えば、奴隷制度の元にアテネ自体が成り立っているのですから、現代からみると、全然民主的とは思えない。もちろん、今と2500年前をそう簡単に比較しちゃダメなんですけどね。当時の時代背景からすると、画期的だったことでしょう。
直接民主制、つまり全員参加の民主主義のもとで大事なスキルは、相手を言い負かすことです。ソクラテスはこの弁論術に非常に長けていたといいます。
ペロポネソス戦争
当時の古代ギリシアはポリスという複数の都市国家によって成立しています。アテネもその一つなのですが、もう一つ、非常に有名な都市がスパルタです。
スパルタと言えば、そう。今でも子供をとても厳しく訓練する「スパルタ教育」の語源でもあります。スパルタでは、健康でない子供は殺され、健康な子供は徹底的に訓練して、最強の軍隊を構成したようです。
恐ろしい…なんたって、子供は特定の親ではなく、スパルタという国家の所有物と言う考えですからね。個人と国家の利益は、時に全く一致しないことがあるんだなぁと思います。
スパルタがどんな国だったかのなんとなくのイメージが沸くのはこの映画でしょう。ペロポネソス戦争とは別の戦争を描いたものですが、300名のスパルタ兵が、ペルシア帝国の大軍に戦いを挑みます。
アテネはこのスパルタと戦争になってしまい、そして敗戦してしまいます。この戦争こそがペロポネソス戦争(BC431 ~ BC404)であり、当のソクラテスも従軍しています。ソクラテス齢50ほどのいい歳したおじさん。
実は、この戦争以前のソクラテスは、あまりよく知られていません。この戦争が終わるのはBC404で、ソクラテスの死がBC399ですから、約5年程度の間に大活躍したことが現代まで語り継がれていることになりますね。
三十人政権の恐怖政治
戦争に負けたら国家のあり方が大きく変わるのは、歴史の必然です。スパルタに負けた後、アテネは親・スパルタの30人の政治家がそれまで猛威を奮っていた貴族から一切の財産を取り上げてしまい、恐怖政治を敷いてしまいます。結局三十人政権は、民主制を支持する人々の反乱などにより一年で崩壊しますが、ソクラテスが「無知の知」をはじめとする様々な哲学にふけるのはこういった時代です。大混乱の時代だったからこそ、また、恐怖政治に挑んだからこそ、ソクラテスは死刑となり、そしてこれほど語り継がれているのかもしれません。
無知の知
アポロンの神託
古代ギリシアの人々はギリシア神話を信じていました。ギリシア神話の神々の中でも、アポロンという神様がいます。
アポロンはオリンポス十二神の一人であり、全知全能の神ゼウスの息子。ギリシア神話の中でもなかなかにえらい神様の一人です。
ソクラテスの弟子が、そのアポロンという神様に「ソクラテスよりも賢い人っているんでしょうか?」と質問をします。
それ聞いてどうするの?という率直な感想はしまっておきましょう。ほら、皆さんにも経験あるでしょう。初詣で、神様からすると「どうでもいいわ!」と思われそうなことをお願いしたこと、ありますよね。ないとは言わせませんよ。
そう、アポロンの神託所とは、現代日本でいうところの神社と同じで、色々な人が無茶なお願いとか、どうでもいいことを聞くような場所だったのでしょうね。
さて、
「ソクラテスよりも賢い人っていますか?」
と聞かれたアポロン神(を代弁する巫女)は、なんと
「ソクラテスよりも賢い人はいません」
と答えてしまいます。
アポロンの神託の反証
「ソクラテスよりも賢い人はいない」
と、アポロン神に言われてしまったソクラテス。
「そんなわけがない」
と思ったソクラテスは、この神託が間違っていることを証明しようとします。その方法は、色々な賢者と話すことで、その賢者の方が賢いことを証明する、というものです。
私だったら、
「いやー神様もテキトーなこと言うものだね」
なんて片付けてしまいそうなものですが、それを
「間違っていることを証明しよう」
なんて言って追求しだすのですからものすごい執念です。
現代に置き換えると、おみくじを引いて大凶が出たら、それが間違っていることを証明するために一年間幸福に生きてやる、みたいな執念です。私なら神社の木にくくってなかったことにします。便利ですよね、おみくじ。
まさに仮説設定とその論理的な検証を体現した、ロジカルシンキングの鑑のような人物だということが垣間見えます。「哲学の祖」たる所以ですね。
さて、アポロンの神託の反証を試み、「自分よりも賢い人がいる」ことを検証するために、ソクラテスは様々な賢人に会います。しかし、不幸にも、ソクラテスは自分の方が賢人たちよりも賢いことに気づいてしまいます。
賢人たちは、みな独断論ばかりであり、自分が知らないことに対しても「知ったかぶり」をしていることを証明してしまったのです。
そして、ソクラテスはあることに気づきます。
「無知の知」の誕生
それこそが、「無知の知」です。
「知らないことを知っているかどうか」
「知らないことを知らないかどうか」
では、その人の賢さに差が出ることをソクラテスは主張しています。そして、知ったかぶりをする賢人たちは「知らないことを知らない人」であると。
なんだ、神様正しいじゃないか。俺の方が賢い。
と、ソクラテスは、アポロンの神託を証明してしまいます。
問答法
では、ソクラテスはどのようにして賢人たちを論破したのでしょうか。
その方法こそが、問答法です。ソクラテス式問答法と呼ばれたりしますが、問いを立ててそれに答えることを繰り返していくことで曖昧さや矛盾、仮説を排除していく方法です。
現代のビジネスマンに置き換えると、こんなやり取りを想像します。
私「社長、私の給与は少なすぎませんか?」
社長「そんなことはない、十分な給与を支払っている」
私「十分な給与とは、どれくらいですか?」
社長「それは、売上と利益に基づき決めている」
私「我々のような売上・利益を出しているA社の友人の月給は、私より3万円も高いです」
社長「我々はA社と違い、来期は新興市場に利益を投資をするのだ」
私「社長、給与は売上や利益に基づき決めると言っていました。話が違うじゃないですか!」
こんなやり取りをすれば「社長は給与を決めるための明確な基準がわからない」ことを証明できてしまいます。でも、社長は最後まで「知ったかぶり」を繰り返しています。
んー、なんという
質問する側の圧倒的有利
社長が「ん?うちの給与の決め方?詳しいことはよくわかんねぇな」とは、従業員の前でそんなことは口が裂けても言えません。
同じように、賢人たちも、国民の前で「ん?詳しいことはよく分からん。でも分からないことを俺は知っている」なんて言えないでしょう。
そう、ソクラテスはとても嫌なやつだったんでしょう。しかし、この一連のやり取りを見ていたアテネの若者たちは、なんとこのソクラテスの問答法を模倣してしまいます。賢者たちのメンツら丸つぶれです。
ソクラテス裁判と、その後
賢人たちに嫌われたソクラテスは、裁判にかけられます。「神を冒涜し、若者を堕落させた」という理由で、なんと死刑に処されます。
彼の思想はプラトンに引き継がれ、そしてそのプラトンの弟子がアリストテレスです。彼らについてもおいおいまとめて行きたいと思います。
まとめ
実は、ソクラテスは著作を残していません。彼の弟子であるプラトンが残した『ソクラテスの弁明』、クセノフォーンが残した『ソークラテースの思い出』から、ソクラテスがどのような人物だったのか、何を考えたのかを推測するしかないのです。彼は、書籍として書かれたものが「野放し」状態になるのを好まなかったと言います。
…野放しの考えに対して好き勝手言ってすみません。
んー、ソクラテス。皮肉屋で、鼻につくやつ。彼について調べた時は、そんな感想しか抱くことはできませんでした。でも、私たちは「知らない」と言うことを自覚しない限りにおいては、新しいことを知ることはできません。そう言った謙虚な姿勢こそが、プラトンやアリストテレスと言った弟子たちを偉大な存在足らしめたのでしょうか。
今を生きる私たちは、ソクラテスから何を学ぶべきでしょうか。
無知の知
一つは、当然「無知の知」でしょう。
「物事を知りたい」という欲求は、「私は物事を知らない(分からない)」という前提に立たなければ成り立ちません。知を愛し、そして貪欲に知を吸収していくためには、「知らないことがまだまだ私にはある」ということを自覚しなければなりません。
ソクラテスは、人間は神のように全知全能にはなり得ないが、賢くなるべく努力を続けなければならないと言いました。
問答法
知っていると思っていることに対して、「それはどういうこと」と、抽象的な概念を明確化していくことが、知への探求の第一歩です。私たちの身の回りには、分からないことがたくさんです。
私は今、コーヒーを片手に、パソコンでこの文章を書いています。今飲んでいるコーヒーの作り方、この記事を書いているパソコンの仕組み、パソコンに打ち込んだ記事が全世界に配信される方法…。
でも、こう言ったことを知らないというのは、ある種とても危険です。今私が飲んでいるコーヒーに含まれる物質で食中毒は起きないかどうか。パソコンについているテレビ会議用のカメラの機能がオフになっているかどうか。これ、証明できないなぁ…。明日、自分がコーヒーに含まれる物質で倒れたり、自分の間抜けな顔が全世界に配信されていたりしないということを、証明できない。
そういった「知らない」ことを他人に任せているという高度な信頼関係のもと、自分は生きていると自覚し、重要な局面においては問答法で以って「無知の知」を明らかにしていく。そういった考え方を日々の生活においても、心がけたいものです。
でも、できれば他人に対してではなく、自分に対して自問自答した方が良さそうです。ソクラテスのように、死刑に処されるほど嫌われてしまうかもしれません。
参考資料
- 『ソクラテスの弁明/クリトン』 岩波文庫
- 『ソークラテースの思い出』岩波文庫